2025.11.06
11月6日。 前日の雨が嘘のように晴れ渡った、三重県は松阪市。 僕は、何度も訪れたこの街の、見慣れた路地裏に立っていた。

雑多な看板、室外機、そして、プロパンガスに寄り添う一匹の猫。 この変わらない風景が、なぜか僕に「安心」をくれる。 僕はここで、この出張を振り返りながら、静かに「未来」を見つめていた。 そうか。僕たちが「今」という時間を使っているのは、すべて未来を切り拓くためなのだ。決して消費しているのではない。この一瞬一瞬が、未来へと繋がる確かな「投資」なのだと、この路地裏で改めて気づかされた。

決意を新たに、帰路につく。 立ち寄った大津サービスエリアで、僕は琵琶湖を眺めていた。 どこを見るわけでもなく、ただ遠くを見ている。当たり前だが、ここから琵琶湖の「全体」が見えるわけがない。 だが、僕の脳は、この一部を見ただけで「琵琶湖を見た」と堂々と錯覚している。
面白い矛盾だ。 そして、これこそが「未来」なのだと直感した。
僕たちは、未来の全体像など、決して見ることはできない。 だが、「遠くを見る」と決め、その一部を見据えるだけで、僕たちの脳は「未来を見た」と錯覚し、そこへ向かう力をくれるのだ。 突き抜けるような青空と、どこまでも広がる湖(の一部)が、僕の上昇志向をさらに加速させていく。

そして、僕は吸い寄せられるように、いつもの「儀式」へと向かった。 ガチャガチャだ。 出てきたのは、小さなイカのおもちゃ。
このイカが、僕の人生にどれだけ良い影響をもたらすか? そんなことは、正直どうでもいい。僕がガチャガチャをする理由は、もっと別のところにある。
「こうなるであろう未来」を、僕はすでに知っている。 その分かり切った結果(未来)に向かう自分を、「やっぱりな」と未来から嘲笑うために、僕は今、コインを入れるのだ。 「ガチャ」という現実の行動によって、不確定なはずの未来を、確定した「過去」に変えてしまう。 それが、僕のガチャガチャなのだ。
三重で再確認した決意。 琵琶湖で確信した未来への視点。 そして、このイカが現実のものとなった。 さあ、未来を掴まえに行こう。