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鋳物屋365日ブログ2025 ~その301~ 時の流れ、仲間の絆。京都の空に誓う「また、ここで」

2025.10.25

旅は、終わりが近付くほどに、その一瞬一瞬が愛おしくなる。 京都での研修と冒険の旅も、いよいよ最終日。僕は、まるで旧友に挨拶でもするかのように、再び伏見稲荷大社に立っていた。

鮮やかな朱色に迎えられ、ふと目が合ったお稲荷様が、どこか誇らしげに「また来たのね」と言っているように見えた。 数年前、まだ世の中が今とは違う空気になる前は、それこそ月に一度はここへお参りしていた。人が集まることすらタブーとされたあの静かな時を知っているだけに、今、目の前に広がるこの賑わいが、どこか不思議で、とても冷静な気持ちで受け止めている自分がいる。 そうか、これが「時の流れ」というものか。

この街は、いつも僕に「時の不思議さ」を教えてくれる。 お参りを終え、次なる目的地へと向かう道すがら、僕はまた、その不思議な感覚の虜になっていた。

手には、最新のiPhone。そのデジタルな地図が、僕らを狭い路地へと導いていく。そして、目的地に着くと、そこには壁と地面に置かれた、実にアナログな看板が静かに佇んでいた。 最新のテクノロジーと、変わらない昔ながらの風景。その二つが何の違和感もなく混在するこの空間は、まるで異次元の狭間に迷い込んだかのようだ。

やがて、僕らは五条あたりを歩いていた。 鴨川がゆったりと流れ、道も、空も、どこまでも広く感じられる。 その開放的な景色とは裏腹に、仲間たちの口からこぼれ始めたのは、次の新幹線や帰宅時間といった、現実の予定だった。

誰もが、次の予定を気にし始める。 それは、旅の終わりが近付いている、何よりの証拠だ。 ああ、今この瞬間が終わってしまうのが、どうしようもなく寂しいんだな。 そりゃ、そうだろう。地元に戻れば、皆それぞれが「激務」をこなしている戦友たちだ。その面々と、日常を忘れて京都で寝食を共にし、同じものを見て笑いあったのだ。この時間が、かけがえのないものであればあるほど、旅の終わりは寂しくなるに決まっている。

だが、寂しさは、決して絶望ではない。 「でも、また絶対に来よう」「次はあそこだ」 誰もが、口々にそう言い合う。

ありがとう、京都。 ありがとう、最高の仲間たち。 この旅で深まった縁を胸に、僕たちはまた、日常という戦場に戻っていく。 この寂しさが、次なる冒険への、一番の原動力になるのだから。