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鋳物屋365日ブログ2025 ~その290~ 心の器と、地面の水平線。ざわめきの中で食べたネギ玉牛丼

2025.10.14

どうしようもなく、心がざわつく日がある。
明確な理由はないのに、まるで水面に小石を投げ込まれ続けたように、さざ波がやまない。そんな今日、僕はまるで逃げ込むように、すき家で一番好きなネギ玉牛丼を注文していた。

シャキシャキとしたネギの食感と、とろりとした黄身が、疲れた脳に栄養を補給してくれる。そう信じて、いつもより丁寧に、よく噛んで食べた。しかし、食べ進めるほどに、心の中には一つの問いが浮かんでくる。

「僕は、あとどれだけのことを受け止められるのだろうか?」

次々と起こる出来事、背負うべき責任、描くべき未来。それらを受け止める自分の「器」は、果たして大きいのか、小さいのか。いや、大きさの問題じゃないのかもしれない。深さ、だろうか…? 考えれば考えるほど分からなくなり、ただ心のざわめきだけが大きくなっていく。これは、何かが変わろうとしている前兆なのだろうか。

ざわつく心を抱えたまま、僕はいつもの裏山へと向かった。
そこでは、僕の心とは対照的に、静かで着実な作業が進められていた。

あれほど心を奪われた積み石が天へと伸びていく「足し算」の工程とは真逆の、今は地面を平らにしていく「引き算」の工程。不要な土を取り除き、雨水が正しく流れるよう、緻密な計算のもとに勾配がつけられていく。重機が静かに土を削り取っていくその光景に、僕は別の種類の魅力を感じていた。

そうか。何かを積み上げるためには、まず、その土台となる地面を完璧に平らにしなければならないのだ。僕たちが普段何気なく歩いているこの地面の下には、こんなにも大切で、重要な工事が隠されている。

その時、ふと気づいた。
今の僕の心のざわめきは、この「地ならし」と同じなのかもしれない、と。
新しい何かを受け入れるために、未来へ向かってさらに高く積み上げるために、今、僕の心の中で古い地面が削られ、新しい水平線が引かれようとしているのではないか。

そう思うと、この正体不明の不安が、少しだけ未来への期待に変わる気がした。
この工事の行く末を、僕はしっかりと見届ける。そして、僕自身の心の「地ならし」も、焦らず、怖がらずに、じっくりと見届けていこう。ネギ玉牛丼が、今日は少しだけ、未来の味に感じられた。